2000年10月20日(No.1)
クラッカーとハッカーの違い
最近(といっても数年ほど前くらいから)、メーリングリストや色々な掲示板でたまにハッカーとクラッカーの違いについて意見を述べている人がいます。これらの人の論評は概ね、「ハッカーとクラッカーは違う。ハッカーとは専門的な知識を有すエキスパートを指す言葉で、クラッカーとはシステムに対するテロ行為を行う人間を指している」というもののようです。
しかし、古くからコンピュータ業界にいる人間としては、この意見には?を付けたくなるのも事実です。
ハッカーの語源の意味は確か「ハッキング(hacking)」からきており、この言葉自体は1960年後半(1970年代前半だったかな)位にJohn Draperにより始まったと言われる電話ハッカー(電話をただ同然でかける方法を見つけこれを広めた)からの言葉であったように記憶しています。(行った方法はここでは説明しませんが、インターネットを検索すればたぶんヒットすると思います)
彼の主張では、「通信の自由はいかなる組織にも束縛されてはならず、基本的自由の権利である」というような主張を掲げていたと思いました。 この後、数年(10年近くだったか?)に渡ってAT&T(アメリカの電話会社)はこれらハッキング行為によってかなりの被害を被った筈です。
しかし、その後にはこの電話ハッキングは交換機の性能が上がったことや法的な処罰が厳しくなったかことから一気に衰退していきます。
同じころ、個人が利用できるPCが世の中に現れてきた時、先の電話ハッキングをモデムで活用する人間が現れ、これらの人たちの間では、電話ハッキングの方法などをまとめたBBS(電子掲示板のようなもの)上に登録するようになり、このような情報を集めたアンダーグランド(地下組織)が数多く発生したようです。
その後、これらのアンダーグラウンドの中には、電話ハッキング以外にも、モデムを使った他のPCへの侵入を試みる人たちも現れ、1982年には有名な、Kevin Mitnickによるアメリカ空軍司令部のコンピュータへの侵入事件が発生し、「ハッカー」という言葉を一躍有名にしました。(確か、これを題材にした映画も作られた筈です)
その後、これをまねて多くのハッカーたちが他のサイトのコンピュータへの侵入を試み、多くは失敗しながらも幾つかは成功していくことになります。これらハッカーの主張の中には、先のJohn Draperによる「通信の自由はいかなる組織にも束縛されてはならず、基本的自由の権利である」というものを更に拡大させ、自分たちを「情報社会における権威主義や官僚主義と戦う運動に参加する自由人」であるといった解釈を広げていきました。
だた、これらの人たちはこの段階では悪意をもって他のコンピュータを破壊するようなことは無く(たまに手違いでシステムを破壊してしまうことはありましたが...)、通常は侵入し、その痕跡を残して(または残さないで)おくことで満足していました。 しかし、いくらかの人たちの中には、侵入だけでは飽き足らずついには悪意をもって侵入したシステムを破壊する人間も現れ始め、ハッカー社会においてこれらの人間と自分たちが違うという意味で、破壊者を「クラッカー」と呼ぶようになってきた筈です。クラッカーはその後、サイトの窃盗、破壊、乗っ取りを目的とする侵入や、ウィルスによるデータ破壊等へと分化していきます。
その後現れてきたハッカーたちの中には、欲求を侵入ではなくコンピュータソフトに傾倒していくものが現れてきます。
これらのハッカーは先のスローガンを「いかなるソフトウェアも、その利用を妨げることがあってはならい。またそのソースは公開されなくてはならない」といった理念へと解釈が変わっていきます。
その理念の1つが現在の「GNU」へと昇華されていったと思います。
しかしその理念の根本には、どちらかというと反体制や反権力といった思想が見え隠れするのも事実ではないでしょうか?(良い、悪いはここでは断言していませんよ。 (^_^) )
確かに、現在の狭義の「ハッカー」は「クラッカー」とは違う目標にあるという事には異論はありません。
しかし、歴史を紐解くと広義の「ハッカー」には「法を無視するならず者」の意味もあった事は事実です。 そのような歴史を無視して、単に「ハッカーとクラッカーは違う」というのでは、過去を知っているものには、痴漢(もしくは覗きorストーカー)が自分たちを「強盗」ではないといっているのと同等のようにも感じます。
個人的には、過去の歴史を踏まえて、「現在のハッカーが目指しているいるのもは、過去のハッカーとは違う」という理論を堂々と展開していかないと、ハッカーという言葉を古くから知っている人間には受け入れて貰えないのではないかと思っています。